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 防災の日(九月一日)の未明、新宿の雑居ビルが燃え、四十四人の死者を出した。四階建ての小さなビルだが、窓らしき窓がなく、建物にいた人のほとんどが、逃げる術なく煙に巻かれ、亡くなってしまったらしい。都市の過密がもたらした悲劇の一つと言えるだろう。

 実は、この出来事が起こる二時間ほど前、私は珍しく、都心をドライブしていた。鎌倉からの帰り道で、横浜横須賀道路から首都高速湾岸線に入り、ランドマークタワーやみなとみらい21を眺めながら横浜ベイブリッジを渡り、お台場の夜景に目を遣りながらレインボーブリッジを渡った。

 照明が、海に架かった巨大な橋や観覧車、高層ビルの輪郭を描き出し、オフィスビルの窓の灯り、オレンジ色に連なる街路灯、自動車のヘッドライトや赤いテールランプ、看板の照明、……、さらに遠くには、山で見上げる天の川のような無数の光の点が、それより遥かにくっきりと、広がっていた。そして、その灯りの数ほど、人の営みが繰り広げられていることも明らかだった。

 東京湾から見た都会の夜景は、確かに目を見張るものがあった。これぞ「現代文明」である。けれども、そんな景色を、右に、左に、前に見ながら、車は忙しく通り過ぎるのである。自分が電線を流れる電子になったような気分で、隣近所とぶつかり合わないようにしながら、しかも自分の進む道を選んで、時には分岐し、合流し、狭い壁の間を慌しく通り抜けていった。

 そんな車の中から見るせいもあるのだろうか、この都会の夜景は、夢のような美しさと同時に、夢のようなはかなさも感じさせた。高速道路の橋げたや吊り橋、また高層ビルの群れの巨大さが、点る灯りの密集度が、何か、空恐ろしささえ感じさせるのだった。

 私は、巨大な人工物を見ると、それを造った人間のすごさにも思いを寄せるが、大抵は同時に恐くなるのである。恐さの原因は、一つは単に大きいが故に、そこから落ちたときには生きてはいられないだろうと思ってしまうのである。次に、強度の問題である。大きな物は、それなりに丈夫に造ってあるはずだが、それでも脆いに違いないと思えるのである。例えば高層ビルはいくら丈夫でも、同じ高さの山ほど丈夫なはずはないのである。いくら堅固に橋を造っても、それを海に架けたならば、いつか地震に引き千切られるに違いないと思ってしまうのである。壊れたときのことを思うと、大きな物は恐いのである。

 都会の巨大な構築物の中にこんなにたくさんの灯りが点っているということが、さらに私に空恐ろしさを感じさせる。何かの理由で電線が切れたら、通信が途絶えたら、道路が通行不能になったら、建物が崩れてきたら……ここから見渡せる範囲の、この無数とも思える灯りの下の人の営みは、一体どうなってしまうのだろうか。

 文明は、どうしてもガラス細工のように脆いものではないだろうか。そう覚悟して、もう少し余裕を持って、隙間を空けて構築すべきなのではないだろうか。

 そんな思いを抱いた矢先、新宿の雑居ビルで火事があったのだった。

 ところがそれから二週間も経たないうちに、今度は、なんと、アメリカ、ニューヨークの国際貿易センターのツインタワーが、こともあろうに、乗客を乗せたまま乗っ取られた旅客機の衝突によって、二つとも炎上、崩れ去ってしまった。巨大な文明の利器同士が、たくさんの利用者を収容したまま、高速度で激突し、双方が完全に崩壊してしまった。

 飛行機の乗客と、飛行機に飛び込まれた部屋に居合わせた多くの人は即死状態であったに違いない。運よく直撃を逃れた人も、非常階段を使って、火災の中を数百メートルの高さから必死で逃げ降りてきたのである。逃げおおせた人もいれば、まだその途上にあった人もいたであろうその時に、巨大なビルが上から一気に崩落してきた。地上では、脱出してきた人や、消火や救助活動に集まった人々がたくさんいたはずである。すさまじい勢いで落ちてくる瓦礫が、彼らを呑み込み、圧しつぶしてしまった。

 巨大な人工物の脆さ、恐ろしさを、こんな悲惨な形で目の当たりにしようとは、よもや思いもしなかった。

 このできごとは、テロリストが.周到に仕組んで引き起こした事件である。だから、その原因も責任も、勿論彼らのテロ行為に求められるべきである。だがしかし、それと同時に、文明の利器が安全性を無視してまで巨大化していることも問題にする必要があるのではないかと思う。

 飛行機を兵器にしてしまったことは予想外の悪行としても、四百メートルもの高い建物なら、飛行機がぶつかる可能性はないとは言えないのではないだろうか。巨大なもの同士が起こす事故は、そこに居合わせた人間には大き過ぎ、速すぎ、事柄を理解する間さえ与えず、ただ無力感のみを与えて命を奪ってしまうのではないか。小さな人間が工夫し、力を合わせ、また開発した機械を用いて造った巨大な物が、一人一人の人間を虫けらのようにしてしまうのである。これは馬鹿げたことである。

 大きな物がみないけないと言っているのではない。山にトンネルを掘るには、大きな力が必要だ。だが人間には、意味もないのに大きい物を造りたがる習性があるのではないだろうか。単なる金儲けのために、あるいは自分の経済力や影響力、企画力や技術力などを誇示するために大きな物を造りたがる傾向があるのではないだろうか。

 私は、こんなことのために、多くの人の安全が犠牲になってはたまらないと思うのである。これからは、もっと人間の大きさに合った、安全性を重視した街づくり、国づくりを要求し、実現していかなければならないと思う。

 [TEXT:高橋秀樹(個性を伸ばす教育研究室・伸び伸び塾)]

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