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一般入試においては、昨年から公立高校入試の学力検査が2日間から1日に短縮されました。つまり1日で5教科の試験を実施することになっています。これは実際子どもたちにとってかなり負担が大きいものとなっています。2日目は各学校が指定する試験となっていますが、どこもお決まりの「面接」「作文」程度の試験となっており、合否にどこまでの影響を持っているのかは疑問視されています。中にはパーソナルプレゼンテーションを実施した学校もありますが、結局はどれだけ面白いことが言えるかというアピール大会という様相を呈しており、では大人しく、引っ込み思案な人間はダメなのか?という人間性の否定につながらないかという批判の声もいくつか聞かれました。
また、国語の試験では作文が出題されていますが、趣旨に沿って正しい日本語で書かれていれば満点という採点が多いらしく、実際はここで差がつくことはないようです。
人が人を裁くのが難しいのと同様、人間が介在して人間の合否を決めていくのは極めて難しいことです。ですから、「数字」「データ」という無機質なもので、客観的に、冷静に合否を判断してきたはずです。学力やその他の部分を別個に扱い、「それはそれ、これはこれ」と考えていたからこそ、「勉強は出来ないけれど、スポーツは…」という納得の仕方が出来たし、お互いを尊重することも出来ました。人間性と学力も同居していないことがあるからこそ救いがあったり、また別個に評価するからこそ温かみがあったのです。
しかし、現在の制度は、それら全てを内申点というものに集約し、内申点がその生徒の全てを表しているかのように見られています。「提出物を出していないから」「先生と仲が良くないから」「先生の指導に従わないから」だから内申点が悪い。「部活動をやっていないから」「運動が苦手だから」「生徒会をやっていないから」推薦してもらえない…。今までは通知表が悪ければその子は「勉強の出来ない子」に過ぎなかったのですが、今は「悪い子」になってしまっているのです。しかも、推薦入試が横行したことで、「挽回」が出来づらい状況が生まれています。敗者復活が出来ないなど、教育の世界で一番やってはいけないことでしょう? なぜ失敗や間違いをやり直せない状況を子どもたちに押し付けるのでしょうか? 「入試で子どもたちを苦しめないで!」などとはお笑い草です。子どもたちを苦しめ、追い詰めているのは、こんなことを公言してはばからない浅薄な方々なのです。裏に政治的・思想的なものも見え隠れします。
いずれにせよ、今よりも「謙虚な努力が実を結ぶ」入試制度を実施し、入試が努力の尊さを学べる絶好の機会になることを切望して止みません。才能のある人間だけが勝ち逃げし、大多数の平凡な人間が「才能ある奴はいいよなぁ…」と羨むという殺伐とした社会を作ることがグローバルスタンダードだと盲信している文部科学省に自戒を求めたいと思うのです。
[TEXT:亀山 卓郎(明窓学院)]
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