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1854年にアメリカの武力による威嚇で開国を余儀なくされた日本政府は、国民の啓蒙・開明化のため1871年に文部省を設け、1872年に学制を交付します。その結果全国に2万以上の小学校が設立され、1875年には男子の小学校就学率は50%(女子は18%)を超えます。ただ初期には自由な雰囲気のあった教育も、1879年の教育令、1886年の学校令をへて、1890年の教育勅語で国家主義的教育へ転換していきます。1903年には国定教科書制度も制定されます。
この時代にはまた、現在の日本の高等教育を支える教育機関が続々と誕生します。なお、私立大学が法的に認可されるのは原敬内閣のときの1918年です。
1865年 慶応義塾(現慶應義塾大学)
1872年 官立女学校、女子師範学校
1875年 同志社英学校(現同志社大学)
1877年 東京大学
1881年 明治法律学校(現明治大学)
1882年 東京専門学校(現早稲田大学)
1897年 京都帝国大学
20世紀になってからも、日本は不平等条約改正の国是のもとに富国強兵、殖産興業の道を歩み、結局は、資源と市場を求めてアジア諸国への帝国主義的行動をとってしまいます。必然的に、日本は年々極東での孤立色を強め、高等教育でも不幸は起こります。たとえば、早稲田大学の創始者大隈重信の出した1915年の対華21か条の要求は中国人を激怒させ、せっかく日本に留学していた中国の知識階層が本国に引き上げて抗日運動に参加したりするわけです。
昭和の軍国主義化が極まった1941年にはナチスを模倣した国民学校令が制定されるに至りますが、これは結局5年と続きません。1945年に敗戦を迎えた日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約で国家主権を回復するまで、アメリカによる上からの民主化要求に服することになります。それからすでに50年が経過しているのですが…。
ところで、皆さんにここでお尋ねしてみたいことがあります。
それは、軍服を改造した詰襟のついた男子の制服、女子のセーラー服を“かっこいい”
“かわいい”そして“経済的”という見方をできるルーツは何なのか?ということです。
私にヒントを下さる方からのメールをお待ちしております。
以上、第1回歴史回顧でした。次回は入試の現状について考察してみたいと思います。
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教育史回顧
1.世界史上有名な家庭教師による帝王教育
2.日本の古代における官吏養成の儒学教育
3.貴族の師弟教育から有産市民階級教育の時代へ
4.日本の中世の仏教教育、近世の藩校・私塾・寺子屋
→5.近代の国民教育
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[TEXT:寺崎 亮(大学受験DEN)]
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