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話を教育史に戻しましょう。
その後日本でも、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代にはさまざまな教育形態が登場し18世紀後半以降は庶民教育も急速に広がります。
鎌倉時代には、北条実時が金沢文庫を設けて僧侶養成をし始めます。
15世紀室町時代には、上杉憲実がやはり僧侶養成のために足利学校を再興します。“往来物”といわれる庶民向けの教科書の普及もあり、そのころ寺院では庶民教育が行われ始めます。
安土桃山時代には、宣教師がセミナリオやコレジオという神学校を作る時期もありました。
江戸時代になると、政権が安定したこともあり、5代将軍徳川綱吉が1690年に林鳳岡を大学頭として重用し、封建社会維持のための教学である儒学を中心に文教政策が進められます。その後、8代将軍徳川吉宗も武士や庶民を教化しようとしたこともあり、民間にも儒学が普及していきます。1797年には幕府は幕臣の教育機関として昌平坂学問所を設け、18世紀以降には多くの藩でも藩士師弟教育のため藩学が設立されます。
1641年 岡山 池田光政 花畠教場
1719年 萩 毛利吉元 明倫館
1755年 熊本 細川重賢 時習館
1773年 鹿児島 島津重豪 造士館
1789年 秋田 佐竹義和 明徳館
1841年 水戸 徳川斉昭 弘道館
また、城下町を離れた土地にも1668年 岡山藩主池田光政の作った藩士や庶民の教育を行う閑谷学校が、18世紀はじめには摂津平野郷村の町人が設立した郷学もなど作られるようになります。民間でも武士・学者・町人によって私塾が開かれ儒学を中心に国学や洋学が講義されます。
1634年 近江小川 中江藤樹 藤樹書院
1662年 京都 伊藤仁斎 古義道
1709年 江戸 荻生徂徠 萱園塾
1724年 大阪 中井甃庵 壊徳堂
1817年 豊後飛田 広瀬淡窓 咸宜園
1856年 萩 吉田松蔭 松下村塾
そしていよいよ18世紀後半になると“教育爆発”と呼ばれるほど初等庶民教育機関である寺子屋が急増(8千以上。江戸時代を通じて1万5千以上)します。浪人・村役人・神職・僧侶・富裕な町人などにより6〜13歳の子供20〜30人を集め、読み・書き・そろばんや儒教的な日常道徳も教えられるようになります。
こうした庶民教育は封建社会では世界的にも珍しいといわれており、初等教育は普及し、識字率も非常に高まったのです。
現代の塾が、公教育を補完するというよりは公教育にはできないことを実現するという伝統は、日本では少なくともこの18世紀ころからの私塾教育に起源があると考えても差し支えはないと思われます。
第2次大戦後の日本社会が経済的にアメリカを追うだけに終始して文化的には成熟できず自国のアイデンティティーを模索している現代、私塾教育は、幼稚園から大学院受験そして各種の国家試験受験に関して公教育が果たす何倍もの役割を担う状況があります。この現代の状況と、幕末体制が複雑化と行き詰まりを見せていた当時、庶民教育に“教育爆発”が起こったこととを比較すると、ある意味では必然的な類似を見せているといえなくはないのです。
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教育史回顧
1.世界史上有名な家庭教師による帝王教育
2.日本の古代における官吏養成の儒学教育
3.貴族の師弟教育から有産市民階級教育の時代へ
→4.日本の中世の仏教教育、近世の藩校・私塾・寺子屋
5.近代の国民教育
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[TEXT:寺崎 亮(大学受験DEN)]
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