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さて今度は、古代ローマの暴君ネロから600年後の日本に目を向けてみます。
中国大陸には、618年から約300年間続く唐という国際的な国家が現れます。日本はそこに、630年の犬上御田鍬以降、894年の“学問の神様”菅原道真の建議により停止されるまで10数回にわたって遣唐使を派遣し、さまざまなことを吸収していきます。
689年には、唐の規律を模範とし国家に必要なすべての条項を規定すべく飛鳥浄御原令が施行されますが、その後も法典編纂事業は進み、701年、刑部親王や藤原不比等が改修した大宝律令(現代の刑法、行政法、民法、商法、民事訴訟法等)として結実します。現代日本の官僚制度の起源はここにあり、ある意味ではその後1300年にわたる日本の方向付けをした時代でした。
大宝律令の規定による教育の施設として中央に大学(5位以上の貴族の師弟)、諸国に国学(郡司の師弟)が置かれました。いずれも、官吏養成のための機関でした。
その後、大学、国学とは別に貴族が師弟の教育を行うための大学別曹も創設されます。和気広世が弘文館を、藤原冬嗣が勧学院を、在原行平が奨学館を作るのです。
また“弘法大師”空海が、儒学や仏教を庶民に教育するためにこの時代に作った綜芸種智院は、現在の種智院大学となり、日本最古の大学として京都に存続しています。
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教育史回顧
1.世界史上有名な家庭教師による帝王教育
→2.日本の古代における官吏養成の儒学教育
3.貴族の師弟教育から有産市民階級教育の時代へ
4.日本の中世の仏教教育、近世の藩校・私塾・寺子屋
5.近代の国民教育
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[TEXT:寺崎 亮(大学受験DEN)]
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