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紀元前350年ころ、空前の世界帝国を建設したマケドニアのアレクサンドロス大王がいました。わずか10年程でギリシア、エジプトからインド西部にまたがる大帝国を建設した人物です。その後の300年にわたるヘレニズム時代の基礎を築いた大王の東征は、東西の交流にとって大きな意味がありました。
一例を挙げれば、約800年後の日本の飛鳥時代、法隆寺の仏像に伝わった微笑をたたえる表情(アルカイックスマイル)は、ヘレニズム時代にギリシアから伝わった文化が5世紀のモンゴル高原の北魏を経由して日本まで伝わってきたものと考えられています。
この大王と同時代に、プラトンに20年学んだギリシアの哲学者アリストテレスがいました。彼は、論理、生物、心理、倫理、政治、歴史、美学等で、イスラム世界にも中世のスコラ哲学以降のキリスト教圏にも大きな影響を与えた人物です。
さて、このアレクサンドロス大王とアリストテレスには生徒と教師として接点があったことをご存知ですか?大王は中学生くらいの年齢で家庭教師アリストテレスから教育を受けたのです。きっと、徹底した帝王教育をされたであろう大王ですが、アリストテレスの言うことをきかなかったことも有名な話で、有能で個性的な人間同士の面白い関係を物語っていますね。
他方、歴史上では生徒と教師の悲しい実話もたくさん伝えられています。
時代はアレクサンドロス大王の東征から400年後のローマ。紀元後60年ころ、古代ローマ帝国はまもなく五賢帝の時代が到来する“パックスロマーナ(ローマの平和)” といわれる安定した全盛期を迎えていました。ところが、その時代に逆行するかのように前帝を毒殺して皇帝になった暴君ネロは、キリスト教徒の迫害、目に余る奇行、母、妻、政敵の殺戮を繰り返しました。自らの愚行ゆえに精神的に追い詰められ疑心暗鬼になったネロは、教師である哲学者セネカに向かって自分に対するクーデターに荷担した嫌疑で自殺をせよと命令するに至るのです。もともと、セネカは、ネロの母親殺しに荷担したり大荘園の所有をしたりしながら言葉だけ清貧を説くような元老院出身の執政官でしたから、こうした運命も自業自得といえます。それでも、こうした生徒と教師間の信頼の欠如が招く不幸な結末は、人間関係の本質にかかわり場所や時を越えた万人の普遍的なテーマ“教育の意義”を改めて考えさせられるものです。
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教育史回顧
→1.世界史上有名な家庭教師による帝王教育
2.日本の古代における官吏養成の儒学教育
3.貴族の師弟教育から有産市民階級教育の時代へ
4.日本の中世の仏教教育、近世の藩校・私塾・寺子屋
5.近代の国民教育
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[TEXT:寺崎 亮(大学受験DEN)]
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